京城日報 1942-05-14
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- Publication date
- 1942-05-14
- Collection
- kjnp-archive; newspapers; eastasia-periodicals
- Language
- Japanese
- Item Size
- 86.4M
Japanese newspaper published in Korea until 1945. Includes early issues under title 京城新報 and 朝鮮日報
- Addeddate
- 2021-10-03 13:29:02
- Identifier
- kjnp-1942-05-14
- Identifier-ark
- ark:/13960/t04z7sn9q
- Ocr
- tesseract 5.0.0-beta-20210815
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- 0.0.15
- Ppi
- 400
- Scanner
- Internet Archive Python library 2.1.0
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(1)
Reviewer:
tpjv86b
-
February 25, 2022
Subject: 朝鮮語で味わえぬ柔らかい国語の感触
Subject: 朝鮮語で味わえぬ柔らかい国語の感触
内鮮一体は「国語」から
朝鮮語で味わえぬ柔らかい国語の感触
礼讃する西原澄さん
東拓京城支店に勤めて二十年、新堂町三五三西原康博(四三)=旧名韓順得=の家も嬉しい国語の家である。婦人澄さん(三八)=旧名高中玉=京城第一高女の出身、故にこそ国語は上手なはずだ。周囲の環境もあろうが、四人の子女も全部国語常用者ばかり。桜丘国民学校に通っている次男の啓隆君(一〇)などは全く朝鮮語は識らないで、かえって学校で怪しげな鮮語を覚えて母親澄さんから叱られたといった笑えない風景も時折はあるという。
近所の話によれば「あれが半島の方ですか」なんとなく不思議に思われる位の国語生活である。訪れると主人康博氏は留守。代わって鮮服の澄夫人が応待する。
「廃物利用というわけでしてね。子供達からは叱られますが、あるうちは着てしまおうと思っています」と夫人は悪びれずに弁解だ。
「主人と結婚したのは十八年前ですから、長男通雄は今十八歳です。その頃から主人は一切朝鮮語を使わなくなりましたので、私もよいことだと思いました。今では朝鮮語で話しかけられるのが迷惑と思うくらいになりました。主人などはいつも子供を指さして、この子等は一生鮮語を識らずに済むだろうと喜んでいます。だが困るのは主人の母が来たときで、子供らは懐かしいおばあちゃんとは言葉が通じないので、そこで私が通訳です。今おばあちゃんは何て云ったの…と子供らに聞かれて通訳する恰好はちょっと滑稽ですが、それでも祖母は郷里の開城に住んでいますので時々京城へ出て来るのですから、子供らに影響はありません」
そこで「朝鮮語から国語専用への動機は…」と問うと、夫人は明快に「国語には鮮語では表現の出来ない優しさがあります。殊に婦人用語は独得のもので、あの柔らかい女らしさは鮮語にはありません。だからこそ国語は優秀国民の使用すべき言葉であると信ずるのです。次女の瑩(八つ)も三男の繁榮(五つ)もあの通り御近所の子供と遊んでいますが、どっちが私の子供ですかお判りになりますか」
成程!これは国語常用よりも愛用よりもまた専用よりも全くの内地人化した姿だ。”内鮮一体は先ず国語より”はこの家庭には全く不必要な言葉である【写真=西原さん一家】
朝鮮語で味わえぬ柔らかい国語の感触
礼讃する西原澄さん
東拓京城支店に勤めて二十年、新堂町三五三西原康博(四三)=旧名韓順得=の家も嬉しい国語の家である。婦人澄さん(三八)=旧名高中玉=京城第一高女の出身、故にこそ国語は上手なはずだ。周囲の環境もあろうが、四人の子女も全部国語常用者ばかり。桜丘国民学校に通っている次男の啓隆君(一〇)などは全く朝鮮語は識らないで、かえって学校で怪しげな鮮語を覚えて母親澄さんから叱られたといった笑えない風景も時折はあるという。
近所の話によれば「あれが半島の方ですか」なんとなく不思議に思われる位の国語生活である。訪れると主人康博氏は留守。代わって鮮服の澄夫人が応待する。
「廃物利用というわけでしてね。子供達からは叱られますが、あるうちは着てしまおうと思っています」と夫人は悪びれずに弁解だ。
「主人と結婚したのは十八年前ですから、長男通雄は今十八歳です。その頃から主人は一切朝鮮語を使わなくなりましたので、私もよいことだと思いました。今では朝鮮語で話しかけられるのが迷惑と思うくらいになりました。主人などはいつも子供を指さして、この子等は一生鮮語を識らずに済むだろうと喜んでいます。だが困るのは主人の母が来たときで、子供らは懐かしいおばあちゃんとは言葉が通じないので、そこで私が通訳です。今おばあちゃんは何て云ったの…と子供らに聞かれて通訳する恰好はちょっと滑稽ですが、それでも祖母は郷里の開城に住んでいますので時々京城へ出て来るのですから、子供らに影響はありません」
そこで「朝鮮語から国語専用への動機は…」と問うと、夫人は明快に「国語には鮮語では表現の出来ない優しさがあります。殊に婦人用語は独得のもので、あの柔らかい女らしさは鮮語にはありません。だからこそ国語は優秀国民の使用すべき言葉であると信ずるのです。次女の瑩(八つ)も三男の繁榮(五つ)もあの通り御近所の子供と遊んでいますが、どっちが私の子供ですかお判りになりますか」
成程!これは国語常用よりも愛用よりもまた専用よりも全くの内地人化した姿だ。”内鮮一体は先ず国語より”はこの家庭には全く不必要な言葉である【写真=西原さん一家】
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